繊維筋痛症の日記。

繊維筋痛症です。 私の経験、考え方を公開し誰かのお役に立てたらと思いブログをはじめようと思います。 ただ、私自身難病です。 痛みによって、発言に責任持てません。 痛みで記憶がないとき、薄い時があります。 人格や考え方が変わることがあります。 それがこの病気の一面です。 もし私を参考にしたり意見を持つときはご自身でご判断された上で、お願いします。

繊維筋痛症の私歴、その1

繊維筋痛症のステージ3です。

病院ではじめて診断されたのが2013年の5月。その病気を知って振り返るとは2006年からステージ1の症状がはじまったように思います。

 

振り返ると、繊維筋痛症になった背景にある大きな問題は「私が、私自身を守れなかったこと」があると思います。あとは親の愛情不足です。それについて今日は書こうと思います。

 

これを書くのはすごく勇気がいります。

怖いです。

 

でも私がこれを書けるのは、事態が30%ほど解決出来たと思うから。低い数値ですが、昔は1%と感じていました。

そんな不安もあるけど私がブログを書くのは、私自身を認めるためでもあるし。(こんな自分も生きてると自身で認めて、他の人に知ってもらいたい欲求。自己分析。誰かの役に立てるかもという発想。)

  

人の数だけ。それぞれ病気の原因は違います。どこか共通点がある方が、「わたしひとりじゃないんだ。似たことを思ってる人、経験してる人が他にもいる」って知ってほしい。そして現状を改善する何かのよいきっかけになってほしいです。その気持ちが大きいです。

 

だから、なるべく脚色せず、隠さず書きます。私視点だから、偏った文章になるかも。

 

そして文章は暴力的だと思います。今の時代なら父親モラハラとDVだからです。読んでて気分悪くなったらすぐ離脱してください。最初は序章なので、よくない事が多く書いてあります。ただ、これは私が繊維筋痛症になった背景にあるだろうことを書いています。

暴力を訴えるブログでは決してありません。

繰り返すようですが、大きな目的は人の数だけ。それぞれ病気の原因は違います。どこか共通点がある方が、「わたしひとりじゃないんだ。似たことを思ってる人、経験してる人が他にもいる」って知ってほしい。そして現状を改善する何かのよいきっかけになってほしいです。

 

その1~3まで書くつもりです。

 

=背景=

幼少期

父は3歳の時に両親へ先立たれ、他のご家庭で養子になりましたが愛情不足で育ちました。そして私が生まれる少し前に複雑な人間関係のトラブルを起こし、家庭崩壊寸前でした。

 

そのストレスで母は、幼いわたしを掃除機で吸い込んだり、無視したり、教育だと言って嫌なことをする一方。私の服装や髪型にとても愛情をかけるなど「場面」によって態度が不安定に。叔父の話によると、そんな両親を見ているわたしは大抵不機嫌で、「わたしをいじめないで!」「悪口を言わないで、ケンカしないで!」「パパとママを守ってあげる」など叫ぶ時があったようです。私の幼少期の写真アルバムはそのことがあってか、叔父や親戚たちと写っている写真は笑ってますが、両親との写真は無表情です。

 

小学生

低学年で弟が誕生し、私も嬉しかったけど早くも両親の贔屓がはじまりました(苦笑)。わたしは小学生から弟との格差(笑)に寂しや殺怒りを感じてませんでしたが、中学生になるとまた別の話となります。

さて、高学年になると父親が会社のストレスを家庭に持ち込み、言葉の暴力や精神的ストレスを受けました。父の長い言葉に胃痛で倒れたり、寝込んだり。同時期にひどい生理痛で学校を休む日が毎月ありました。急に冷え性になり運動が好きだったのに途端に疲れやすい体質になりました。

これらの原因は父だと自分で気づき、何度も訴えましたが両親は気に留めず「誰でもあること」と言われました。子供ながら言われ続けると「そうなんだ」と間違って学習してしまいました。

 

こうやって書いていると、私の両親はどれだけ未熟で愚かなのだろう。親は子供を産んで一緒に育つと、両親は語るけど、私には未だにそう思えません。

両親は大抵に自分たちが正しい、子供の意見に否定的、ネガティブ。子供は親の思い通りになるのが自然な流れと思ってます。食事を食べていて「これ美味しいね!」という発言さえも「うるさい、黙れ」などして抑え付けられました。

なので私の体調不良や、私が親の言葉や態度で傷ついてるのは理解できなかったようです。

 

中学生

父のストレスがさらに悪化。

言葉の暴力は人権や性的な発言にもおよび、私だけでなく母親を罵っている姿を小学生から見ているため限界だったと思います。登校拒否を約1年半強。

うちの家庭が致命的だったのは、その状態でも「普通の家庭より心も懐も裕福」と両親は誇りに思っていたことです。

「お前が俺の家族じゃなかったら・・わかってるよね?一族の落ちこぼれ。どうしてお前はダメなんだ。学校に行って成績をとったら1教科5千円あげるよ、何が不満なの?満足でしょ。女って子宮でしか動かないからダメなんだよ。」などの言葉を吐きました。落ちこぼれの私に父が美容院や洋服代を出してくれるはずもなく。わたしは外見が気持ち悪い人へ変わりました。

ただ、当時の担任の先生と叔父はやさしく慰めてくれた。

母は混乱していました。

私が登校拒否になった理由を受け止められず、父に「お前の教育が悪い」と責められました。だけどわたしを父から庇うどころか、なぜか従姉妹や弟への愛情が強くなりわたしは放置。「ねぇ、従姉妹や弟って本当に可愛いよね。大好き!」が口癖。だけど私へはそのような言葉や日常会話はなし。

これらが原因で私の心が歪み始め、自分で悲しみのコントロールが効かず、弟へ八つ当たり(間違った怒りの爆発)がはじまりました。そして両親へ心を閉ざしました。

しかし母は根は良い人だと、中学の終わりの方で初めて感じました。

学校の先生、叔父に私のことをよく相談していました。それがきっかけで私は心のサポート受ける機会が増え、卒業前に学校へ復帰。学校の授業へほとんど出てませんでしたがベットから抜け出し自宅勉強できるようになり、高校受験を合格することができました。とても感謝をとてもしています。

 

高校生

弟が登校拒否になりました。

不安定な両親と姉(私)の影響でしょう。弟は小学生でした。今でも心が痛みます。弟によく言われていました。「父親と同じだ、そっくりだ!」

わたしはその言葉に最初は怒りを感じ、口論していましたが弟のおかげです。彼は何度も私に教えてくれました。

父親と同じだ、そっくりだ!」私は自分が両親の影響を受けすぎていると気づき自分の性格を直そうとはじめました。

同時期、クラスメイトから「あなたってイヤミだね。ねえ、ご両親といるとき辛そうだけど大丈夫?あなたの両親て怖いね。」などの言葉をかけてもらい「両親がおかいしと思うのは私1人じゃない。そして私も異常なんだ。どうにかしなきゃ。」と、ポジティブな意味で受け止めることができました。性格を変えたい、両親と同じにならなくてすむ!と、気づいたことをとても嬉しかったです。まるでチャンスが巡ってきたかのように希望が持てました。そう思えるほど、私は家に窮屈に感じ、自分の意見や存在を否定され続けてました。

 

大学生

弟は相変わらず登校拒否ですが良好な関係を築きはじめました。これも、私が高校時代に私の性格を指摘してくれたおかげです、本当に感謝です。

しかし、母が限界になりました。脳溢血になってしまいました。その日は忘れられないです。

両親の性格は相変わらず変わりませんから、父は母に言葉の暴力を長い結婚生活で浴びせ続け、弟の登校拒否が治らないので「お前の教育が悪い。女ってなんでダメだめなの?俺はこんなに優秀なのに」など一方的な言葉の暴力になり・・私は今でも覚えています。

ただ、父に罪悪感はありませんこれが普通の会話だと思ってます。大人になって知ったことですが、父は自分自身の育ての親がそのような態度だったので、この会話は普通らしいです。悲しいですね..。

話は戻り、喧嘩をしている両親を横目に思いました。「なんで母は父へ反論しないでいつも召使いみたいに言いなりなんだろう。嫌い。父はもっと酷い奴。関わるのをやめよう。」そう思って部屋に入ったとき、父が私の名を叫ぶ声が聞こえました。こんな声、生まれてはじめて聞くので慌ててリビングへ向かうと、母が椅子の上で震えて口から泡を出していました。脳溢血になってしまいました。

原因はストレスです。(脳溢血のすべての原因がストレスでありません、うちの母のケースです)

ストレスの原因は言うまでもないと思います。

母が倒れた日、緊急手術が朝まで続き担当医の方からは「覚悟してください」と言われました。病院につくまでお話しにくいことがすこしありました。

しかし母は一命をとりとめました。

だけど記憶をなくし(脳の一部を手術で取り除いたため)半身不随、記憶喪失、話すことや考えることが難しい障害者になってしまいました。母は家族のことは何も覚えてませんでした。(その後10年以上のリハビリを経て、すべての症状が奇跡的に一部取り戻し会話や日常生活は送れています。)

この時期、私は就職活動に入りました。

母の介護、弟の学校訪問・勉強・メンタルサポート、大学授業・就活、家事が重なった。さらに母親が聞いていた分の父の愚痴を聞く役目を背負いました。友達や趣味をする時間はなく、私の学生時代は暗闇色です。

父と何度も「その態度や言葉はやめて。心が傷つく。親子じゃない。イジメの関係みたいだよ。ここは会社じゃない、家だからストレスを持ち込まないで。今度は私が倒れちゃう。」など必死に話しましたがダメでした。

 

その時はじめて悟りました。

こんなに話し合っても、家族の気持ちに寄り添えない父は本当に異常なんだ(異常=普通ではない)。

母はとても、とても愛情深い人だったんだ。だから父に文句が言えなかった。そして父の一番の理解者であり本当に愛してるのだと

母が父の悪口を黙って聞いていたのは、父を守るため。父に日常会話ベースでも意見すると、考え方が違う。自分と同じじゃないとショックを受けて、ストレスを感じどうしたらいいのか混乱し、攻撃する性格だったと理解しました。

そして母はそれを子供たちや、自分の親や兄弟へ相談することもなく1人耐えてました。私は母のその行動は正しいと思いません。だけど、それが母の愛情方法なのです。

それをこのタイミングではじめて知りました。

憎くて、大嫌いでこの両親ムリ!と思ってた私はそれを感じ「父と弟を守らなきゃ。母には一人の女性として幸せを感じて欲しい。記憶を取り戻して欲しい。」と強く思いました。

 

* * *

今は家族の状態がすこしよくなったからこそ話せる、繊維筋痛症の原因と思われる序章でした。繊維筋痛症になった背景にある大きな問題は「私が、私自身を守れなかったこと」があると思います。あとは親の愛情不足です。

どこか共通点がある方が、「わたしひとりじゃないんだ。似たことを思ってる人、経験してる人が他にもいる」って知ってほしい。そして現状を改善する何かのよいきっかけになってほしいです。

 

・・続きはまた今度。

寒波に続き、まだまだ寒い日が続きますので皆様おからだご自愛下さいませ。